農業の表と裏
農業の都から見える表側と現場でしか見えない裏側
消費者からするとスーパーやレストラン、食卓で見かける野菜や果物、それが農業。
農家からすると農作物を栽培することで生活の糧とする、それが農業。
私が農業の現場に飛び込んで約2年、
東京で暮らしていた時には見ることのできない裏側までたくさん見てきました。
そんな感じで、久々に丸1日島原半島の農家さんを回ってきたのですが、
そこで見た農業の表と裏で大きな課題をお伝えできればとおもいます。
宮田さんの畑でお話しついでに収穫中の玉ねぎを味見している一枚。
みずみずしく、甘さと辛さがいい塩梅でした。
この日本の端、島原で獲れた野菜が日本あちこちへ、皆さんの食卓へと流れ、農業の顔となります。
これがいわば表の顔、美味しい野菜を作る農業の姿です。
その帰り際に見た光景がこれ。
畑一面に収穫されることもなく無残な姿となったレタスたち。
おそらくこのレタスたちは売り先がなかったのでしょう。
というのも、買ってくれる人がいないわけではなく、価格が見合わなかったためです。
例えばレタスをみても、今年の初めが1箱(12玉くらい)4000円以上にまで吊り上がっていました。
ただ、今では数百円、段ボール代など考えると、売っても赤字となることがあります。
野菜を作りたくさん売ることが農家が生きていくために必要なことです。
そのため、品質、味よりも量に目を向けている農家さんがいる、これはどの地域に行っても当たり前のこととなります。
なおさら土地が狭い地域からするとそれが生きていく術でもあります。
ここには相場という要因が大きく関係しており、量をつくることにに目が行くことは自然です。
では消費する側からするとどうでしょうか?
安心安全なものをという考えも、いま有機栽培や無農薬栽培に世間の目がいっていることから明白です。
ただこれは、一部に農業の裏側を見たことがない消費者側からの理屈が先走っているようにも感じます。
生きていくためにはこうするしかない、と代々伝わってきた農業が、次第と消費者に受け入れられなくなってくる。
突き詰めると、農家さんの数が減っていくのは明らかです。
どんなに味、品質にこだわって作られたものでも、流通に乗っかってしまえばごちゃ混ぜになります。
島原の直売所では「○○さんの野菜」で売られているものも、福岡に行けば「長崎県産」、大阪にいけば「九州産」
なんかおかしいと感じる部分があるはずです。
トトノウではこの仕組みから何とかしたい。
むしろ、何とかしなければ、と感じています。
ちょっと論点が多すぎてなに書いているかよくわからなくなってきましたが、
農業の裏側を知ることで私の中で見えてくるものが大きくありました。
あ、一点勘違いしないでいただきたいのは、「農業の前提として品質、味が重要」と当然思っています。
農業の裏側の部分にフォーカスをあてたとき、そこにある課題を解決しなくてはならない。
これがトトノウの役割です。
ちょっと疲れたのでこれくらいで、読みずらかったらすみません!
では